大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成2年(ワ)14191号 判決

原告

甲野太郎

外三名

右四名訴訟代理人弁護士

伊藤秀一

新谷桂

武田昌邦

赤羽宏

被告

東京都

右代表者知事

青島幸男

右指定代理人

大嶋崇之

外四名

主文

一  被告は、原告甲野太郎、原告乙山一男及び原告丙村二郎に対し、それぞれ金五〇万円及びこれに対する平成二年一一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を払え。

二  被告は、原告丁田花子に対し、金三〇万円及びこれに対する平成二年一一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その四を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第一及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、それぞれ金一〇〇万円及びこれに対する平成二年一一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、天皇制廃止を主旨とする反天皇制全国個人共闘「秋の嵐」(以下「秋の嵐」という。)の構成員ないしこの主旨に賛同する者(以下「秋の嵐構成員等」という。)であった原告らが、平成元年から同二年にかけて数回にわたり、東京都渋谷区神南二丁目三番代々木公園B地区(以下「代々木公園B地区」という。)付近から同区神宮前六丁目三五番通称五輪橋歩道橋下交差点(以下「五輪橋交差点」という。)に至る都道放射二三号線(いわゆる歩行者天国となっているところであり、以下「歩行者天国」という。)付近において天皇制反対を表明するビラ配布、演説寸劇等のパフォーマンス、音楽活動、横断幕掲示等の活動を行っていた際、警視庁所属の警察官によってなされた違法な現行犯逮捕行為又は暴行行為により精神的肉体的損害を被ったとして国家賠償法一条一項によりその損害の賠償を求めた事案である(なお、春川三郎(以下「春川」という。)も訴えを提起し、他の原告らと同趣旨の請求をしていたが、本件訴訟中に死亡し、平成七年九月二七日、相続人により訴えが取り下げられ、同年一〇月四日被告がこれに同意した。)。

一  争いのない事実等(特記しない限り当事者間に争いがない。)

1  原告らは、秋の嵐構成員等である(原告甲野太郎本人、原告乙山一男本人、原告丙村二郎本人、原告丁田花子本人)。

被告は国家賠償法にいう公共団体であり、後記の各逮捕行為に関与した警察官は被告所属の公務員である。

2  原告甲野太郎(以下「原告甲野」という。)は、平成元年一月八日午後二時一三分ころ、東京都渋谷区神宮前六丁目三五番神宮橋(以下「神宮橋」という。)東側歩道上において、複数の警察官により、公務執行妨害罪の被疑事実により現行犯逮捕された(以下「本件逮捕(一)」という。)。

3  原告乙山一男(以下「原告乙山」という。)は、平成元年一月一五日午後一時三〇分ころ、代々木公園B地区内歩行者天国付近において、複数の警察官により、軽犯罪法一条三三号違反の被疑事実により現行犯逮捕された(以下「本件逮捕(二)」という。)。

4  原告丙村二郎(以下「原告丙村」という。)は、平成元年一月一五日午後一時三〇分ころ、代々木公園B地区内歩行者天国付近において、複数の警察官により、公務執行妨害罪の被疑事実により現行犯逮捕され(以下「本件逮捕(三)」という。)、引き続き同月二六日まで勾留された。

二  原告らの主張

1  春川は、天皇制反対等を主旨とする「秋の嵐」というグループを結成し、原告らはこれの構成員等である。秋の嵐の活動は、主として原宿駅近辺におけるいわゆるパフォーマンス活動、音楽活動、ビラ配布等であった。これらの活動は、憲法の保障する表現の自由の中核を占め高度に民主的価値を有する行為である。そして、象徴天皇制や国民主権と相容れない天皇制の権威強化の一連の動きが一般国民の意識、無意識下に強く作用し、人々の考え、行動を支配している現状下において、原告らが広く国民に対し天皇制について意見表明しあるいはともに考えていこうとするにあたり、パフォーマンス等の手段を選択したことにはやむにやまれぬ必然性・必要性があり、かつ他の表現手段は利用困難な状況にあった。

昭和天皇の死亡前後という時代的背景もあって、警察は過剰な警備活動をしていた。

2  原告甲野逮捕の状況

(一) 昭和六四年一月七日、昭和天皇が死亡したため、翌日である平成元年一月八日、代々木公園B地区において、春川らが集合し、右地区内にある時計台(以下「本件時計台」という。)近くにおいて天皇制についての意見を述べ合った。また、当日は雨天のせいもあり、あまり歩行者はいなかった。春川らが神宮橋上に到着し、春川がハンドマイクで天皇制反対を訴えていたところ、警視庁公安部公安第一課警部補Aをはじめとする数名の警察官がいきなり春川を集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二五年七月三日東京都条例第四四号)(以下「本件公安条例」という。)違反の被疑事実で現行犯逮捕し、東京都渋谷区神園町一番宗教法人明治神宮(以下「明治神宮」という。)南門内に待機していた警察の車両内に同人を連行した。警察官は春川に逮捕事実を告知しておらず、また、春川は逃走する余裕もなく、氏名不詳の警察官の「よし」という合図とともに、原告甲野と同時に逮捕された。

(二) 原告甲野は、春川の呼びかけを聞きながら、歩道上に佇立していただけで、何ら違法行為をしていないにもかかわらず、警視庁公安部公安第一課巡査部長Bら複数の警察官により、公務執行妨害罪の被疑事実により、現行犯逮捕された。原告甲野に対する公務執行妨害の被疑事実による逮捕行為は何らの嫌疑なくなされた違法逮捕であり、春川の逮捕行為着手とほぼ同時になされており、公務執行妨害の被疑事実は後から作り出されたものである。原告甲野は、右逮捕の際、逮捕に当たった警察官により左顔面を一回殴打され、鼻から出血する傷害を負った。

(三) 本件逮捕(一)に先行する春川の逮捕は以下の理由で違法であるから、仮に原告甲野が警察官に対して妨害行為をしたとしても、公務執行妨害罪の公務の適法性の要件を満たさない。すなわち、本件公安条例は、憲法二一条及び三一条に違反するものであり、仮に違憲でないとしても、春川の行為は本件公安条例違反行為に該当しないばかりでなく、春川に対する現行犯逮捕の必要性を欠くものである。また、警備目的は、反天皇制に関する活動の弾圧であり、違法である。

3  原告乙山逮捕の状況

(一) 原告乙山に対する本件逮捕直前に、警視庁代々木警察署警備課課長警視Cが代々木公園A地区と代々木公園B地区との間にかかっている歩道橋の南側の橋脚(以下「本件橋脚」という。)の南側に位置する本件時計台付近に集まった私服・制服の警察官の中に、警視庁代々木警察署警備課課長代理警部D、警視庁代々木警察署警備課公安係巡査部長E、警視庁代々木警察署警ら課巡査Fをはじめとする警察官がいた。警察官は、原告乙山逮捕について打ち合わせた後、Cが先頭となり、その直後にDを含む私服警察官数名が続き、それから若干遅れて制服警察官多数名がついていくという形で、本件橋脚南側にいた原告乙山を目指して移動した。そして、D、EらがCの指揮を受けて原告乙山を逮捕した。

(二) 原告乙山に対する本件逮捕(二)は軽犯罪法一条三三号違反(以下「貼り札罪」という。)を理由とするものであるが、次の各理由により違法である。

(1) 本件逮捕(二)は表現の自由に対する直接かつ重大な制約を課すものであるから、少なくとも「みだりに」という要件を充足せず、犯罪の現行性の要件を欠く。また、貼り札罪の成立は「みだりに」という価値相対的な構成要件の存否にかかるため、犯罪成立の明白性の要件を欠く。

(2) 貼り札罪の法定刑は拘留又は科料であるところ、刑訴法二一七条は拘留又は科料にあたる罪の現行犯逮捕については「犯人の住居若しくは氏名が明らかでない場合又は犯人が逃亡するおそれがある場合」に限って認められると規定している。しかるに、原告乙山について、住居・氏名は不明ではなく逃亡のおそれも一切なく、本件逮捕(二)は刑訴法二一七条の要件を欠き違法である。

(3) 本件では、警察官が原告乙山の行為が軽犯罪法に違反するおそれのある行為であることを警告すると同時に、歩道橋の管理者の許可を得るように促し、右許可が得られない場合には横断幕を任意に撤去するよう注意する等の配慮を尽くすべきであったのに、警察官は、何らの警告をすることなく、また横断幕の任意撤去を求めることなく、突如大挙して原告乙山を逮捕したものであって、軽犯罪法四条に違反するとともに、逮捕の必要性の要件を欠く。

(4) 本件現場は代々木公園B地区内のいわゆる「ホコ天」と称され、週末には音楽・踊り・寸劇等の表現活動を行う若者たちやこれを見物しようとする人々が数多く集まってくる場所である。そして、右表現活動に伴い、あるいは独自に、数多くのポスターやビラ等が付近の橋脚等の設置物上に貼られており、これらは規制されることなく放置されているのが現状である。本件の横断幕も周辺に数多くみられるポスター・ビラ等と同種のものである。しかるに、本件の横断幕のみが軽犯罪法に違反するとして現行犯逮捕され、一方的に撤去されたのは、何ら合理性のない差別的取扱であり、憲法一四条の規定する平等原則に違反する。

4  原告丙村逮捕の状況

(一) 原告乙山逮捕の着手を目撃した原告丙村は逮捕を阻止すべく原告乙山と集団の方に駆け寄り両腕で原告乙山の一方の太もも辺りにしがみついた。しかし、警察官は、原告丙村の腕を引き離し宙づりの状態でパトカーまで運び、同人を逮捕した。その際、原告丙村は、警察官とのもみ合いで左手甲に三か所出血を伴う傷害を負った。

(二) 前記のとおり原告乙山の逮捕行為自体違法なものであるからこれを阻止すべく原告乙山の体に抱きついた原告丙村の行為が公務執行妨害罪に該当することはあり得ず、本件現行犯逮捕行為は違法である。

5  原告丁田の受けた暴行の状況

原告丁田は、平成二年二月一八日、春川らと行動をともにして歩行者天国上を明治神宮南門方面へ移動しながら歩行者にビラを配っていたところ、原告丁田において何らの違法行為がないのにもかかわらず、白色ジャンパーを着た被告所属の氏名不詳の私服警察官(以下「白色ジャンパーの人物」という。)から、五輪橋交差点内において、身体をつかみ、かつ振り回すなどの暴行を加えられ、さらに中腰になったところ頭部を足で蹴られた。

6  原告らは、警察官の不法行為により、名誉を著しく侵害され、かつ表現の自由に基づく思想・信条の表現手段を著しく制限され、または、身体拘束その他肉体的苦痛を被った。右精神的・肉体的苦痛に対する慰藉料としては少なくとも、原告らそれぞれについて、金一〇〇万円が相当である。

三  被告の主張

1  原告らは、昭和六二年一〇月ころから、JR原宿駅周辺や放射二三号線の歩道上等で、集会、集団行進等を行っていたが、それらは道路交通法や本件公安条例に違反する活動であった。右活動が、憲法二一条の定める表現の自由でないことは明白である。また、原告らの法秩序を無視した暴力的な集団としての性格は、本法廷において暴言を吐き、原告全員及び支援者全員が退廷を命ぜられるなど審理の場においても顕著に表われている。

2  原告甲野逮捕の状況

(一) 平成元年一月八日、代々木警察署では、秋の嵐構成員等によるいわゆる無届けビラ配布、街頭演説、街頭行進等の違法行為が行われると予想し、代々木公園付近にC以下三〇名の代々木警察署員を配置した。A以下約一〇名の警視庁公安第一課員は、当日、代々木警察署に派遣され、Cの指揮のもと、代々木公園付近の警戒に従事した。同日午後一時ころ、代々木公園B地区内に所在する本件時計台付近において、秋の嵐構成員約五〇名がゼッケンや横断幕を所持して集合し、拡声器を使用したシュプレヒコールや演説を行った。Cは、秋の嵐構成員等の行為が、本件公安条例に違反しているものと判断し、秋の嵐構成員等に対し、右行為を中止するよう警告した。

(二) Bは、近くで視察していたAが他の警察官に対し「逮捕だ」と言った後、春川に対し「公安条例違反だ。逮捕する」と言って、春川に向かっていったことから、春川の逮捕に協力し、その逃走を防止するため同人に向かっていこうとしたが、左側に神宮橋の欄干があったため、右側から回り込むようにして春川に近づいていった。Bは、Aが春川の逮捕に着手したところ、春川がいきなり反転して後ろ向きに逃げ出そうとしたことから、「公安条例違反だ」「警察だ」と言って同人に向かって二、三歩走り出したところで、右斜め前方向から飛び出してきた、黒っぽいコートを着て、白いゼッケンをつけた原告甲野が腰を低くして、突然、右肩で下方から突き上げるような形で胸付近に体当たりしてきたので一瞬「うっ」となって立ち止まってしまい春川を逮捕することができなかった。Bは、原告甲野に対し、「邪魔だ。何するんだ」と言って、引き続き春川の逮捕の応援に向かうため、前進しようとしたが、原告甲野がBの前に立ちふさがって右手首の上辺りを強く上から叩きつけるようにして振り払ってきたため、押し戻されるような感じとなり、バランスを崩し、前に進むことができず、その際右手首上部に擦過傷を負った。そこで、Bは、原告甲野を公務執行妨害罪の現行犯人と認め、「公妨だ」と叫んで同人の右手を両手で押さえて逮捕に着手した。ところが、原告甲野は、両手を振り回しながら、「離せ、離せ」などと言って、一、二歩後ずさりしながら逃げようとしたため、Bは原宿駅方向に向かって、逮捕に着手した場所から直線で約一〇メートル移動した地点で原告甲野を逮捕した。

3  原告乙山及び原告丙村逮捕の状況

平成元年一月一五日午後二時ころ、丁田は、代々木公園本件時計台広場と代々木公園A地区にかかっている歩道橋の真下部分、放射二三号線の南側の公園敷地内において、原告乙山らが、歩道橋橋脚北側部分に「さよなら」、「ヒロヒト」と大きく書かれている横断幕(横幅約三メートル縦約二メートル)をガムテープで貼ったのを視認し、右行為が軽犯罪法一条三三号違反に該当するものと判断した。

Eは、Cに対し、原告乙山を指さしてあの男が横断幕を貼ったと説明したところ、Cが原告乙山から事情を聞くということであったので、現場で再度横断幕が貼られた状況を聞かれる可能性もあると判断し、その少し前を歩きながらCとともに原告乙山に近づいた。Eは、Cが原告乙山に対し住所・名前を確認している状況をCから約二、三メートル離れた歩道上から見ていたが、原告乙山は落ち着かない様子でそわそわし始め次第にEの方に後ずさりするような感じで近づいてきた。Eは、原告乙山がCの質問に全く答えず、質問が終わらないうちに急に大声で、「そんなの関係ねえよ」と言いながらくるっと一回転し、あっという間に、Eを避けるようにして、Eの右脇を走り抜けてしまったことから、その瞬間「逃げられた」と判断し、既に五、六メートル離れていた原告乙山を追いかけ始めたところ、同人が急に足をもつれさせるような感じで仰向けになり、腰砕けの状態で歩道上に倒れ込んでしまった。そこで、Eは、原告乙山に追いついて同人の左腕と左肩を押さえて、「何で逃げるんだ。軽犯罪法違反で逮捕する」と申し向けて現行犯逮捕に着手し、近くにいた警視庁代々木警察署警備課巡査部長Gも原告乙山の右肩を持って立ち上がらせようとしたが、同人はなかなか起き上がろうとしなかった。その直後、原告丙村が突然代々木公園の方から飛び出してきて原告乙山の腰付近にタックルするように抱きついてきたため、原告乙山を逮捕することがいっそう困難となった。

そこで、Eは、付近にいた警察官に、「排除、排除」と言って原告丙村を引き離してくれるように要請したところ、Fが原告丙村の肩付近を持って引き離そうとしたが、なかなか離れず、そのうち原告丙村は右肩を下にして原告乙山を横に抱くような感じになって次第に仰向けのような状態になっていった。Fは、原告丙村が、右のような状態になってしまったことから原告丙村の太ももをつかんだりズボンをつかんだりして引き離そうとしたが、その際、Fは急に原告丙村から「離せ、この野郎」と言われ、左足で「ゴツン」という感じで唇付近を蹴り上げられ、その後も腕や胸付近を何回も蹴り上げられた。そこで、Fは「公妨だ」と叫んで原告丙村を公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕した。

本件逮捕にあたったEは、本件逮捕当時、原告乙山の住居・氏名を知らなかったし、原告乙山は逃走しようとしたのだから逃亡のおそれもある。また、原告乙山に対する逮捕は適法であり、客観的にも原告乙山に対する急迫不正の侵害は存在していなかったのであるから、原告丙村の行為は正当防衛行為に当たらない。

4  原告丁田の受けた暴行の状況

原告丁田は、五輪橋交差点の歩道上において道路交通法に違反する態様でやじ馬にビラ配りをしたり、秋の嵐のメンバーとともに抗議活動を続けていたところ、春川が警察部隊により排除されるのを見て春川に追いすがり同人の身体をつかみ、あるいは自ら混乱の中に身を置き警察官の身体を押し退けるなどして警察官の活動を妨害していた。そして、その直後、白色ジャンパーの人物が原告丁田の襟をつかんだが、これが私服警察官であったとしてもこれを暴行と評価することはできない。また、白色ジャンパーの人物が原告丁田の頭部を左膝で蹴った事実はない。

四  争点

1  原告甲野に対する逮捕は適法か。

2  原告乙山に対する逮捕は適法か。

3  原告丙村に対する逮捕は適法か。

4  原告丁田は警察官から暴行を受けたか。

第三  争点に対する判断

一  本件の背景事情

証拠(甲一二、二〇、二一の1、2、二五、証人D、原告春川三郎本人、検証)によれば、次の事実が認められる。

1  秋の嵐は、昭和天皇の沖縄訪問に反対することを主たる目的として、春川を中心に、昭和六二年九月一六日に結成された団体であり、本件当時、原宿駅前の神宮橋歩道上や放射二三号線の歩行者天国等で天皇制廃止を主旨としてビラ配付、パフォーマンス、シュプレヒコール、音楽活動、横断幕掲示等の活動を継続的に展開していた(当初の正式名称は、アンチ天皇9.10.11緊急臨時共闘「秋の嵐」であり、三箇月後に反天皇制全国個人共闘「秋の嵐」と改称した。)。昭和六三年九月一九日の昭和天皇の吐血・下血後は、本件各逮捕等以外にも、昭和六三年一〇月ころから平成二年六月ころにかけて、多数回にわたり、秋の嵐構成員等の活動に対し、警察官による移動措置等がなされていた。

その状況は、例えば次のとおりである。

(一) 昭和六三年一〇月二日、春川ら秋の嵐構成員等約三〇名は、天皇制反対を唱えるビラを配布しながら明治神宮南門方面に移動していたところ、複数名の制服警察官が神宮橋上においていわゆる阻止線を張ったので、この阻止線を突破しようとしたことがあり、同月三〇日、春川ら約一五名が神宮橋上で天皇制批判の寸劇を行っていたところ、寸劇開始から約一五分経過した時点で、複数名の制服警察官が右寸劇を中止させ、その後複数名の警察官が春川らを移動させ、約一五分間監視していた。その後、春川らが明治神宮南門前において警察の措置を不当としてシュプレヒコールを繰り返していたところ、複数名の警察官が春川らを移動させた。

(二) その他、昭和六三年一一月三日、同月一三日、同月二七日、同年一二月四日、昭和六四年一月一日、平成元年五月三日、同年一一月三日、平成二年二月一一日、同月一八日、同月二五日、秋の嵐構成員等約一〇数名ないし四、五〇名は、代々木公園B地区付近から明治神宮南門付近に至る道路上、神宮橋上、五輪橋交差点歩道橋から表参道方向に向けての歩道付近等において、天皇制に反対するビラを配布したり、天皇制反対を訴えて仮面を付けてのパフォーマンスを行ったり、後記2の明治神宮の措置に対して抗議文を提出したり、警察官の規制行動に抗議するなどの行為を繰り返していた。これに対し、警察官らは、阻止線を張ったり、秋の嵐構成員等を移動させる等の規制を行っていた。

(三) また、平成二年五月二五日、同年六月二九日、秋の嵐構成員等は、渋谷駅のハチ公前において、天皇と韓国大統領との会談に反対する等のビラを配布し、また、礼宮の結婚に反対するビラを配布していたところ、警察官らは、ビラ配付等を中止させ、同人らを移動させるなどしていた。

2  平成元年一月中旬ころ、明治神宮から渋谷区町会連合会に対し、秋の嵐らによる反天皇制集会とデモの取締りを陳情されたい旨の依頼があり、これを受けて渋谷区町会連合会は、警視庁に対し、平成元年二月一一日、「表参道神宮橋(明治神宮入口)付近を徘徊し、反天皇制・反体制を標榜して、所謂原宿に集まる善良な人達や地区住民に対し不快感を与えている集団に対し厳重なる取締を要望します」との内容の要望書を提出した。これに対し、秋の嵐構成員等は、明治神宮に抗議をしていた。

二  争点1(原告甲野逮捕の状況)について

1  争いのない事実及び証拠(甲一の14ないし21、二、三の35ないし39、四ないし九、二八の1ないし6、三一、三二の1ないし12、乙一ないし四、五の1、2、証人A、同B、同D、原告春川三郎本人、同甲野太郎本人、検証)によれば次の事実が認められる。

(一) 平成元年一月八日、前日の昭和天皇の崩御を受け、秋の嵐構成員等は明治神宮付近で天皇制反対のシュプレヒコール等を行い、これに対し、警察側は秋の嵐の行動を監視していた。すなわち、秋の嵐構成員等は、本件時計台付近に集合し、放射二三号線北側の歩道を東進し、五輪橋交差点を左折し、明治神宮南門前を通過し、神宮橋を横断して、午後二時一〇分ころ、神宮橋東側に到着した。

春川は、当日、黒色系のジャンパー、ズボン、スニーカーという服装であった。

原告甲野は、当日、つば付きの青い帽子、サングラス、黒色系のコート、スニーカーという服装で、コートの上に字の書かれた白いゼッケンを着用しており、そのゼッケンから一見して秋の嵐構成員等と分かるような服装であった。

Aは、当時警視庁公安第一課に所属し、当日は紺色のジャンパーを着て、秋の嵐に対する警備に当たっていた。

Bは、警視庁公安第一課に所属する巡査部長で、当日は、午後一時ころから、紺色の背広上下の上に黒色系のコートを着て、首に臙脂色のマフラーを巻いて、秋の嵐に対する警備に当たっていた。

(二) 春川の逮捕着手

同日午後二時一〇分ころ、神宮橋東側(神宮橋北東側歩道部分(JR原宿駅南側))で、春川が、最初、東方向(表参道歩道橋方向)を向いて、その後南西方向を向いて、右手でハンドマイクを持ち、右肩から拡声器をぶらさげた状態で、演説をしていた。

春川逮捕直前、原告甲野は、春川の後方(北東方向)約二、三メートルの地点で西側前方を向いて立ち止まったりゆっくり西方向に移動したりしていた。

秋の嵐構成員等は、春川の周辺において、神宮橋東端の東側で南北に長く位置し、これに対し、これを警備する複数の警察官は、神宮橋東端近辺ないしその西側に位置して、両者は対峙していた。警察官は、春川らの行動が無届けのデモ行進であり直ちに解散するよう再度にわたり警告していた。

その直後、Aは、本件公安条例違反を理由として、春川の逮捕に着手した。Aは、低い前傾姿勢のまま、春川の右手側から回り込むように同人の体を両手で抱え込み、他の警察官らとともに同人の身体を拘束し、JR原宿駅方向に引っ張っていった。

(三) 原告甲野逮捕着手

前記のとおり、原告甲野は春川の後方二、三メートル辺りの地点で佇立していたが、春川に対する逮捕が着手された直後、Bにより原告甲野に対する逮捕(本件逮捕(一))が着手された。

Bが原告甲野逮捕に着手し、他の警察官らとともに原告甲野を拘束し、これに対し、原告甲野は左回り(反時計回り)でしかも後方に体重をかけてBの手を振り払おうとした。このときの勢いで両者は南方向に移動し、現場の状況を撮影していたビデオカメラに衝突した。その後も連行される途中、警察官は「逃げるな」等と言い、原告甲野は、「やめろ」と叫びながら警察官に抵抗した。なお、この際、原告甲野は鼻血を出し、Bは右手首上に擦過傷を負った。そして、春川及び原告甲野以外にも数名の秋の嵐の構成員と見られる者らが連行され、現場は騒然とした状況になっていた。

(四) 春川は平成元年一月一九日まで勾留された後起訴されず釈放された。原告甲野は東京家庭裁判所に送致され、同裁判所は、平成元年六月七日、原告甲野に非行がないとして保護処分に付さない旨の決定をした。

本件訴訟手続において、被告は被告側において逮捕状況、逮捕の適法性等を立証するための重要証拠である春川、原告甲野に対する現行犯逮捕手続書等を証拠として提出しない。また、これらについては、本件訴訟手続において、原告らの申立により文書の所持者である東京地方検察庁に対し文書送付嘱託がなされたが、東京地方検察庁から刑訴法四七条の趣旨にのっとり送付に応じられないとの回答があった。

2  補足説明

(一) 本件ビデオテープの信用性

検証の対象とされたビデオテープのうち「1989年1月8日」と題する部分(以下「本件ビデオテープ(一)」という。)は、その撮影者が不明であるものの、右ビデオテープにおいて特段の編集・改ざん等の形跡は窺われない(証人中村牧子)ことから、平成元年一月八日の本件逮捕(一)当時の現場の様子を撮影したものであると認められ、視覚及び聴覚の作用により感知される現場の状況を至近距離で記録したものとして、その信用性は極めて高いということができる。

(二) 証人Bの証言の信用性

証人Bは、前記認定と異なる証言をするのでその信用性を検討する。すなわち、証人Bは、①近くで視察していたAが、警察官に対し、「逮捕だ」と言った後、春川に対し、「公安条例違反だ。現行犯逮捕する」と言って春川にまっすぐ向かっていって逮捕に着手した、②春川がいきなりJR原宿駅方向に反転して後ろ向きに逃げ出そうとした、③そこで、Bは、春川の逮捕に協力し、その逃走を防止するため、春川に向かっていこうとしたが、左側には神宮橋の欄干があったため、右側から回り込むように、「公安条例違反だ」「警察だ」と言いながら、春川に向かって二、三歩走り出した、④そのとき、Bは、右斜め前方向から飛び出してきた原告甲野によって、腰を低くした体勢で、突然胸付近を右肩で下方から突き上げるような形でかなりの勢いで「ドシン」というような感じで体当たりを受けたため、強い衝撃を受けて一瞬「うっ」となって一時立ち止まってしまい、春川を逮捕することができなかった。その地点は、春川逮捕着手地点よりも数メートル南東である、⑤そこで、Bは、原告甲野に対し「邪魔だ。何するんだ」と言って引き続き春川の逮捕の応援に向かうため、前進しようとした、⑥ところが、原告甲野がBの前に立ちふさがってBの右手首の上辺りを強く上から叩きつけるようにして振り払ってきたため、押し戻されるような状況となり、バランスを崩し、前に進むことができず、その際、右手首上部に擦過傷を負った、⑦Bは、もはや春川の逮捕に協力することが不可能であると判断し、原告甲野を公務執行妨害罪の現行犯人と認め、「公妨だ」と叫んで、原告甲野の右手を両手で押さえて逮捕に着手した、⑧ところが、原告甲野は、両手を振り回しながら、「離せ、離せ」と言って、一、二歩後ずさりしながら逃げようとしたため、BはJR原宿駅方向に向かって左右にジグザグになって引きずられるような形で移動し、移動する途中に近くにいた警視庁公安部公安第一課の警察官数名(H、Iら)の協力を得て、逮捕に着手した場所から約一〇メートル北側に移動した地点で原告甲野を逮捕したと証言する。

(1) Bは、春川の逮捕に協力するために右側から回り込みながら二、三歩走り出したときに原告甲野に体当たりされたと証言し、被告は、乙四・写真番号10がBが春川の逮捕の応援に向かっている状況を撮影したものであると主張するが、検証結果によれば、この時点においてBは右前方(原告甲野のいる方向)を見ており、しかも右側に回り込みながら二、三歩走り出したことは窺われず、右の証言は信用できない。

(2) Bの右証言④ないし⑥を本件ビデオテープ(一)に即してみれば、本件ビデオテープ(一)において原告甲野の姿が手前にいる人物の死角に入っている間(以下「本件死角」という。)に原告甲野がBに体当たりをして公務の執行を妨害したことになるが、右証言が信用できるかについて、以下検討する。

まず、本件ビデオテープ(一)において、原告甲野の姿が見えなくなる直前(乙四・写真番号9)から、再度現れる(乙四・写真番号12)までの間隔は、約一秒弱(乙四号証の「写真の状況」欄によれば、一秒間に三〇コマ進むビデオデッキで再生した場合、二六コマ分の間隔)である。そして、検証結果によれば、原告甲野の姿が見えなくなる直前の原告甲野の姿勢は急に走り出すとか姿勢を低くする等の体当たりに向けて準備する様子が窺われない(なお、乙四号証・写真番号1の中央のつば付きの青い帽子でサングラスをかけ、白いゼッケンを付けている人物が原告甲野であり、甲三二号証の2の中央のコートを着て眼鏡をかけている男の後ろにフード付きでゼッケンを付けている人物は原告甲野ではない。)。また、検証結果、甲二八号証の1、2によれば、本件ビデオテープ(一)で原告甲野の姿が見えなくなる直前においてBと原告甲野との間には二メートル前後の距離しかなかったと認められる。さらに、Bは、原告甲野のかなり勢いのある体当たりを受けて、その強い衝撃で一瞬「うっ」となったというのである(被告は、乙四・写真番号11がその状況を撮影したものであると主張する。)から、右証言⑤の再度前進の行動に移るまでに少なくとも一瞬の間合いがあったというべきであり、しかも、さらに再度の妨害を受けたというのであるから、一連の右証言④ないし⑥の行為は少なくとも数秒を要するであろうと推測される。

さらに、被告は、乙四号証の写真番号12、13は、右証言⑥の状況を撮影したものであると主張するが、検証結果によれば、この時点でBは原告甲野の手付近を両手で押さえ、原告甲野がそれを振りほどこうとしている状況(乙四・写真番号12ないし14を通してBの左肘の角度はほぼ一貫しており、これによれば、Bは、原告甲野の手付近を押さえていることが認められる。)及びその後もその勢いでBの左肩付近がビデオカメラに衝突した直後数名の警察官の協力を得て原告甲野の逮捕を確保している状況が認められることからみて、右写真番号の写真の段階ではすでに原告甲野逮捕に着手しているものと認められるから、右主張は失当である。

また、被告は、本件死角の間に、原告甲野の位置が約四メートル移動していることから、原告甲野が自らの積極的な意思でBの方向に飛び出したものであると主張する。しかしながら、約四メートル離れていたという前提自体が検証結果、甲二八号証の1、2に照らして採用できない。

また、被告は、本件死角の間にBが突然身を低くしており、これは飛び出してきた原告甲野に気づき、反射的に身を守ろうと屈んだからであると主張するが、その直後にはすでに同人の手をつかんでいることからすれば、自ら積極的に逮捕に着手しようとして身構えたものとみる余地も十分にあるので、この点をもって、体当たりの暴行を推認することはできない。

また、証人Bが原告甲野により最初の暴行を加えられ本件逮捕(一)に着手したと証言する地点は、検証結果等により認められる本件死角時点でBが位置していた地点より数メートル南側にずれていることが認められる(本件ビデオテープ(一)の撮影者は、春川逮捕着手後、春川の動きを追って北方向に移動しており、その途中で画面が左方向に動いた際本件街灯が撮影者の左手方向に撮影されていることから、本件逮捕(一)着手の時点では、右撮影者は本件街灯のおおよそ東方向に位置していたものと認められる。)。

以上を勘案すると、Bの右証言にはいくつかの疑問点があり信用できない。

(三) 原告甲野の供述の信用性

原告甲野は、①逮捕直前、春川から二、三メートル離れて、JR原宿駅の方を向いて、ぼうっとして立っていたが、春川や明治神宮南門の方向を見ていたこともある、②春川が逮捕されたのを見ていない、③警察官が春川を逮捕しようとするのを体当たりで妨害した事実はない、④突然警察官に逮捕され、数人の警察官に捕まえられた時点で「逮捕する」「逃げるな」と言われた、と供述している。そこで、その信用性を検討するに、原告甲野の供述は、ことさらに秋の嵐との関係を否定している点、逮捕前後の行動の細部に関する記憶が曖昧である点、検証結果によれば逮捕直前においてJR原宿駅方向は見ていない点等その供述に不自然な部分がないとはいえないものの、春川との位置関係、春川逮捕時の状況、原告甲野逮捕時の状況に関する供述は検証結果にほぼ合致しており概ね信用することができる。

3 以上によれば、原告甲野が警察官に対し暴行したとの事実は現行犯逮捕手続書等による立証もなく、またこれを認めるに足りる証拠がないから、公務執行妨害罪の構成要件を充足せず、本件逮捕(一)は違法である。

三  争点2(原告乙山逮捕の状況)及び同3(原告丙村の逮捕の状況)について

1  争いのない事実及び証拠(甲一の34ないし40、二、三の42ないし45、四、一〇、二四の1ないし9、三〇の1、2、三二の6ないし8、三五の1、2、証人E、同F、同D、同坂手洋二、原告乙山一男本人、同丙村二郎本人、検証)によれば、次の事実が認められる。

(一) 平成元年一月一五日当時において、警視庁代々木警察署警備課課長であったC及び同課長代理であったDは、原告乙山の住居及び氏名を知っていた(この点についての詳細は後記2の(二)のとおりである。)。

(二) 原告乙山らは、平成元年一月一五日、祭日で代々木公園付近の放射二三号線が歩行者天国になるのを利用して、昭和六四年一月七日の昭和天皇の崩御を受けて反天皇制を表明する「X―DAY粉砕ギグ」と称する音楽演奏活動を企画した(以下「本件ギグ」という。)。そして、原告乙山(当日の服装は、黒色系の服にサングラス着用)は、他の者と協力して、平成元年一月一五日午後〇時三〇分ころ、白地に青及び黒色で「さよなら」、「ヒロヒト」と書かれた縦約1.5メートル、横約三メートルの横断幕(以下「本件横断幕」という。)を本件橋脚北側に直接ガムテープ(六箇所)で貼り付けた。そして、原告乙山らは、本件橋脚北側にステージを設営して本件ギグの準備を整えた。また、ビラ約五〇〇枚を持っていった。

(三)(1) 平成元年一月一五日、秋の嵐の集会が代々木公園で行われるという情報を得て、それに対する警備として、C以下約三〇名の警察官(内訳は、規制に当たる制服警察官が約一〇名、その他の任務に当たる警察官が約一〇名、私服警察官が約一〇名)が配置された。

服装については、Cは、制服を着用し、拡声器、白色の傘を携帯し、Dは、白色の帽子、緑色のジャンパー、Eは、ヤクルトスワローズの野球帽、色つき眼鏡、ジャンパー、Gは、ジャンパー、Fは、制服であった。

Cは、同日、秋の嵐の活動に対する警備を指揮する立場であり、適宜無線等で警察官を指揮していた。

(2) Eは、同日午前一一時ころから、他の警察官一名と組んで、代々木公園内で秋の嵐の視察採証活動に従事していたところ、午後〇時三〇分ころ、原告乙山らが本件横断幕を貼り付けるのを約三〇メートル離れた放射二三号線の車道中央にある中央分離帯から視認し、本件横断幕の内容から本件横断幕を貼った者が秋の嵐構成員等であると認識し(その際、原告乙山らに対し、本件横断幕を貼る行為を中止し、あるいは撤去するように申し向けてはいない。)、その状況をメモに取るとともに写真撮影をし、右状況を明治神宮南門付近に設置されていた現場警備本部に逐一無線で報告し、併せて午後一時一〇分ころ、代々木公園の管理者である東京都南部公園管理事務所に本件横断幕を本件橋脚に貼り付けることの許可の有無を確認するよう依頼した。その後、右事務所から無許可であるとの回答を得た。その後、Eは、本件横断幕が貼り付けられた状況を現認した者は本件時計台前に集合してCと接触し現認状況を報告するようにとの指示を無線で傍受し、本件時計台前においてCに状況を報告し、横断幕を貼った人物はいるのか、採証活動は終わったのかとのCの質問に対し、メモは取っており、写真撮影もしている旨返答するとともに、原告乙山を指さして、あの男が横断幕を貼ったと説明した。

(3) Dは、同日午後一時二〇分ころ、歩道橋の橋脚に大きな横断幕を貼った者がいるとの無線連絡を傍受し、その後、横断幕を貼った者を見た者は、本件時計台の下の方に来いとのCの指示を無線で傍受し、本件時計台の方に向かった。

(4) Fは、同日午前一一時ころから、秋の嵐の活動に対する規制活動の要員として、明治神宮南門付近に配置されたが、代々木公園B地区側の橋脚部分に横断幕を貼り付けた者がいるから規制活動要員の制服警察官は歩道橋近くに移動せよとのCからの無線での指示を受けて、本件橋脚付近に移動した。

(四) 原告乙山らは、横断幕を貼り付けた本件橋脚北側にステージを設けた後、午後一時すぎころから、本件ギグを開始し、一番目のバンドが演奏をしていた。

その中を、原告乙山が、本件橋脚の南側を北西方向に移動し、その後方を数名の私服警察官、制服警察官が同方向に足早に移動した。すなわち、①原告乙山が本件橋脚の南側を北西方向に移動し、②その後方を右手に拡声器、左手に白色の棒を持った制服警察官であるCが同方向に移動し、③Cの後方を野球帽をかぶった人物が二名続けて同方向に移動し(そのうち一名がEである。)、④その後方を白色の帽子、ジャンパーを着用した二名の人物が同方向に移動し(そのうち一名がDである。)、その後方を制服警察官が多数隊列を組んで同方向に移動した。

そして、複数名の警察官が、原告乙山を軽犯罪法一条三三号違反を理由に現行犯逮捕した。原告乙山は、複数名の警察官に拘束された状態で、引きずられるように、西方向に移動させられたのち、警察車両の後部座席に押し込まれたが、その際、法的根拠を示すように訴えた。

(五) 原告丙村は、原告乙山逮捕を阻止すべく、原告乙山の身体にしがみつく等の抵抗をしたところ、公務執行妨害罪を理由に現行犯逮捕され、その際左手甲に擦過傷を負った。

(六) 本件逮捕(二)(三)の後、本件横断幕は押収され、原告乙山は、警視庁代々木警察署に連行され、警視庁代々木警察署公安係長佐藤が原告乙山取調べに当たったが、原告乙山は住所氏名等一切黙秘していた。その後、原告乙山の父親が警察からの連絡を受けて、警視庁代々木警察署に身柄を引き取りに来たので、原告乙山は、逮捕当日の平成元年一月一五日午後八時ないし九時ころ釈放された。原告丙村は、警視庁原宿署で平成元年一月二六日まで勾留された後、起訴猶予で釈放された。

また、本件訴訟手続において、被告は、被告側において逮捕状況、逮捕の適法性等を立証するための重要証拠である原告乙山及び同丙村に対する現行犯逮捕手続書等を証拠として提出しない。また、これらについては、本件訴訟手続において、原告らの申立により文書の所持者である東京地方検察庁に対し文書送付嘱託がなされたが、東京地方検察庁から刑訴法四七条の趣旨にのっとり送付に応じられないとの回答があった。

2  補足説明

(一) 本件ビデオテープの信用性

検証の対象とされたビデオテープのうち「1989年1月15日」と題する部分(以下「本件ビデオテープ(二)」という。)は、その撮影者が不明であるものの、右ビデオテープにおいて特段の編集・改ざん等の形跡は窺われない(証人中村牧子)ことから、平成元年一月一五日の本件逮捕(二)(三)当時の現場の様子を撮影したものであると認められ、視覚及び聴覚の作用により感知される現場の状況を至近距離で記録したものとして、その信用性は極めて高いということができる。

(二) 警察官らは、原告乙山の住居及び氏名を知っていたか

前記証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) Cは、遅くとも昭和六二年二月から平成元年三月まで警視庁代々木警察署警備課課長の地位にあり、本件当時も、右警備課課長として、平成元年一月八日の事件及び翌日の捜索差押について捜査書類を決裁する立場にあった。

Dは、昭和六二年二月から平成二年三月まで警視庁代々木警察署警備課課長代理の地位にあり、本件当時も、右警備課課長代理として、Cの指揮命令の下で職務を遂行していたが、昭和六二年秋ころ、秋の嵐を、同年暮れころ、春川を知るようになり、原告乙山については、昭和六三年後半ころ、これを知った。

Eは、昭和六〇年二月ころから平成三年二月まで、警視庁代々木警察署警備課公安係において勤務していたが、本件当時も、右公安係の警察官として、Dの部下であった。同人は、平成元年一月八日の事件について、逮捕現場に居合わせており、また春川を取り調べたが、そのとき、春川の氏名は知っていた。

Gは、本件当時、警視庁代々木警察署警備課に所属し、Dの部下であった。

(2) 平成元年一月八日、春川が逮捕され、警視庁代々木警察署に勾留され、同月九日、原告乙山の自宅のほか数箇所において捜索差押がなされ、右捜索差押えの責任者は、Dであった。

(3) 原告乙山は、本件以前から、何回も氏名や連絡先を記入したビラを作成、配布しており、本件ギグについても事前にビラを配布しており(甲二四の1ないし9)、歩行者天国で活動中、警察官から「乙山、早く皆を連れて行け、次はお前だからな。」と言われたこともある(甲一〇、原告乙山本人)。

原告乙山は逮捕されてから氏名、住所等を完全に黙秘していたが、当日のうちに父親が警視庁代々木警察署に身柄を引き取りに来て、釈放された。

(4) 以上の各事実を総合すると、少なくとも本件逮捕(二)を現場で指揮する立場にあったC及びDにおいて、原告乙山の住居及び氏名を知っていたと推認することができる。この点、証人Eは、原告乙山の住居、氏名は、本人の自動車運転免許証から判明したと証言するが、右免許証の発見場所、発見手段、原告乙山の父親への連絡時間、方法についての具体的な証言を欠き、前記認定事実に照らしても信用することができない。

(三) 証人E、同F、同Dは、Cが原告乙山の住所・氏名を確認したところ同人が突然逃げ出したと証言するので、右各証言の信用性について検討する。

すなわち、証人Eは、①EとCが事情聴取をするため原告乙山の方に歩いて行き、その際、EがCの少し前を歩いた、②Cが、原告乙山に対し、本件横断幕を貼ったか否か、住所、氏名等を確認していたところ、③原告乙山が、Cの質問に答えず、落ち着かない様子でそわそわし始め、次第に後ずさるような動作を示し、Cの質問が終わらないうちに急に大声で「俺はそんなの関係ねえよ」と言いながら、くるっと一回転し、あっという間にEの右脇を走り抜けて、約一〇メートル逃走し、④原告乙山は、Eの右脇を走り抜けて約五、六メートル行ったところで進行方向とは反対の方向に体の向きを変え、後ろの方へ二、三歩後ずさりしながらよろよろと腰砕けの感じで倒れたので、Eが原告乙山の左腕と左肩付近を押さえ、Gが原告乙山の右肩付近を押さえたと証言する。

証人Fは、①Cが原告乙山に事情聴取をするので状況をよく見ておくようにという指示を受けて、Fの属する制服警察官約一〇名は、本件橋脚から西側に約二〇メートル以上離れた歩道上で立っていたところ、向かって右側の代々木公園B地区の本件時計台の方からCとEが歩道の方に歩いてくるのが見えた、②Cが、原告乙山に対し、二声三声事情聴取していたが、このとき、Eは原告乙山の西側約二メートルの地点で立っていた、③原告乙山が、何か大声でわめいて、反転して西方向に逃げ、Eの右脇を通り抜けた、④Eが原告乙山を約五、六メートル後方から追い掛けたところ、原告乙山は、Fから約一〇メートルの地点で自ら足をもつれさせて腰砕けみたいに仰向けに倒れ、Eは、「なぜ逃げるんだ、軽犯罪法違反で逮捕する」と告げて、原告乙山の左腕を持って、逮捕行為に着手したと証言する。

証人Dは、①本件橋脚の南東側(本件時計台の北側)付近を西方向に歩いているとき、Dから約一四、五メートル離れたCとEが原告乙山の方に歩いているのを見て、両名の後を追い掛けた、②Cが、原告乙山に対し、事情聴取を始めたが、このとき、Eは原告乙山を挾んでCと反対側(西側)にいた、③原告乙山が、大きな声を出して反転しながら西方向に走り出した、④原告乙山は、約一〇メートル逃走したところで転倒し、Eが「軽犯罪法違反の現行犯で逮捕する」と言って取り押さえたと証言する。

そこで、検討するに、右各証人の証言は、原告乙山が逃走した点を中心にその前後の経緯についておおむね一致していることが認められる。

しかしながら、第一に、証人Eは、Cが、原告乙山に対し、本件横断幕を貼ったか否か、住所、氏名等を確認していたというが、前記認定によれば、Cは、本件当時、原告乙山の住居及び氏名を知っていたものと認められるから、氏名の確認はともかくとしても、住所の確認までしていたか疑問がある。また、被告は準備書面(四)において、「E巡査部長は、…………原告乙山に対し、はり札の許可の有無及び住所、氏名を質問したところ突然逃走した。」と主張しており、Cが原告乙山に対し質問したとする証人Eらの証言と明らかに食い違っており、右のような質問を受けてはいないとする原告乙山本人の供述に照らすと、証人Eらの証言の信用性には疑問が残る。

第二に、証人E、同F、同Dの本件逮捕(二)直前の警察官の移動状況に関する証言は、検証結果等に照らして信用することができない。すなわち、検証結果等によれば、前記認定のとおり、原告乙山を追い掛けて、Cが先頭に立ち、その後方をE、Dらが続き、さらに、多数名の制服警察官が続く形で本件橋脚の南側を西方向に移動していることが認められ、右認定に反する証言部分は信用することができない。

第三に、証人E、同F、同Dは、原告乙山が逃走していたとき体の向きを変えて後ろ向きに倒れたと証言するが、逃走中に体の向きを変えるという不自然な行動を取らなければならないような特段の事情も窺われない。

第四に、原告乙山は、①本件逮捕(二)直前、本件橋脚の北側でバンドの演奏を聴いていたところ、②警察官が近くに走ってきていると気付き、気がつくと目の前に警察官が集団でおり、先頭にいた私服警察官のDが原告乙山を捕まえろと指示をした、③その指示があるかないかほとんど瞬間的に、制服警察官四、五名から一〇名程度が飛びかかってきて両腕をつかみ、警察の車両まで西方向に引きずっていった、④原告乙山は、「何でだ、やめろ」といって抵抗した、⑤警察官から管理事務所から許可を受けているかと声をかけられたことはないと供述する。このうち、①及び②のうちDが指揮したという部分、逮捕された地点についての供述等については疑問があるものの、他の部分については、検証結果等に照らして、おおむね信用することができる。

第五に、原告丙村は、①本件橋脚の東端から南側の地点で原告乙山がぼうっと一人でステージの方を見ていたとき、向かって右側から複数名の制服警察官が約二〇メートル離れた原告乙山の方に押し寄せてきた、②警察官が押し寄せてきてあっという間に原告乙山を取り囲んだと供述する。このうち、①については疑問があるものの、他の部分については、検証結果等に照らして、おおむね信用することができる。

第六に、本件逮捕(二)の状況を本件橋脚の北側で目撃した証人坂手は、①原告乙山は本件橋脚の西側を北西方向に移動していたところ、②複数名の警察官が本件橋脚の南東方向から早足で本件橋脚方向に歩いており、本件橋脚付近に達した辺りから次第に歩く早さが速くなり、③警察官の進行方向の先に原告乙山がおり、約五名の警察官が駆け足のまま本件橋脚の北西方向で歩道に達する手前の地点にいた原告乙山を取り押さえ、西方向に移動して行き、完全に歩道に出た辺りで原告乙山の腰が地面に落ちるような形で崩れたと証言する。坂手は、本件以前から秋の嵐構成員等と交流を持っており、また坂手の証言態度には真摯性が欠けている面がないではないものの、外形的状況については、検証結果等とも符合し、坂手自身、平成元年一月八日の事件の直後である本件当日の秋の嵐の活動において、何が起こるのか監視しておかなければならないという気持ちで本件現場に臨んでおり、原告乙山とも当日話をしていることも考えると、信用することができるというべきである。

第七に、原告乙山は、逮捕されて警察車両に押し込められる際に、法的根拠を警察官に対しただしているが、Cの事情聴取、Eの逮捕着手時の被疑事実告知がなされていたとすれば、かかる対応がされているのは不自然である。

以上の諸点を総合勘案すると、前記認定に反する証人E、同F、同Dの右各証言中、原告乙山が逃亡を企てたとする証言部分は、信用することができないというべきである。

3 原告乙山逮捕の状況については前記認定のとおりであり、原告乙山を軽犯罪法違反で現行犯逮捕する要件のうち、①逃亡のおそれ②住居若しくは氏名不明に該当する具体的事実についていずれもこれを認めるに足りる証拠がないから、その余の点につき判断するまでもなく本件逮捕(二)は違法である。すなわち、軽犯罪法一条三三号は、みだりに他人の工作物にはり札をした者を拘留又は科料に処する旨規定し、刑訴法二一二条一項、二項、二一三条は、現行犯人及び準現行犯人について逮捕状なくして逮捕することができると定め、同法二一七条は、拘留又は科料に当たる犯罪については犯人の住居若しくは氏名が明らかでない場合又は犯人が逃亡するおそれがある場合に限り現行犯逮捕できると規定しているところ、本件逮捕(二)においては、現行犯逮捕手続書等による立証もなく、結局刑訴法二一七条の要件を満たしていることを認めるに足りる証拠がないことに帰する。

原告丙村の逮捕状況については前記認定のとおりであり、現行犯逮捕手続書等による立証もなく、公務執行妨害罪の公務の適法性(原告乙山逮捕の適法性)を認めるに足りる証拠がない以上、公務執行妨害罪の構成要件を充足せず、本件逮捕(三)は違法である。

四  争点4(原告丁田に対する暴行の有無)について

1  証拠(甲一の32、二、三の62ないし69、四、三二の9ないし12、証人D、原告丁田花子本人、検証)によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告丁田は、比較的小柄な女性であり、昭和六三年九月ころから秋の嵐の活動に参加し始めたが、平成二年二月一八日当日、秋の嵐の行動に参加した。同日の活動の趣旨は、明治神宮が町内会に働きかけて秋の嵐を取り締まるような書面を出させたことに抗議をし、明治神宮周辺で通行人にビラを配布することであった。

原告丁田は、同日、赤色のリュックサックを背負い、黒ないし紺色のジャンパー、ジーパン、白色のスニーカーという服装であった。

秋の嵐構成員等は、同日午後三時三〇分ころ、代々木公園B地区に集合し、その後、横断幕、旗を持ち、ビラまきやシュプレヒコールをしながら、放射二三号線を通り、明治神宮の方に移動した。五輪橋交差点を左折して明治神宮南門に向かおうとしたところ、警察官により歩道に阻止線が張られていた。そこで、その場で秋の嵐構成員等が警察官に抗議を始めたところ、複数の警察官が春川をはじめとする秋の嵐構成員等の強制的な移動措置を開始した。原告丁田は、移動措置の現場から少し離れていたため移動措置の対象とはならなかったが、移動措置に抗議するため、手にビラを持ったまま、警察官に駆け寄った。しかしながら、春川をはじめとする数名の秋の嵐構成員等がそれぞれ数名の警察官により腕を拘束されるなどして南方向へ移動措置が実行されていた。

(二) その際、五輪橋交差点東側付近で、白色ジャンパー、黒っぽいズボンの服装で、髪を7.3に分けた男(白色ジャンパーの人物)は、原告丁田に対し「何やってんだよ。」との言葉を発しながら、左手で原告丁田のジャンパーの左袖口辺りをつかみ、左回り(反時計回り)に振り回した。原告丁田は南東方向に駆け込むように中腰になって倒れ込み、そのまま車道上に落としたビラを拾い始めた。

(三) さらに、白色ジャンパーの人物は進行方向(基本的には南方向)を原告丁田寄り(同人らの進行方向の左側)に変えて原告丁田に近づき、道路脇に停車していた白い普通乗用車のすぐ後方でビラを拾い中腰になっていた原告丁田に対し、左膝で原告丁田の右側頭部を蹴った(甲三二の12)。原告丁田は、その二、三秒後、再び移動された秋の嵐構成員等の後を追いかけた。

(四) 白色ジャンパーの人物は、本件暴行行為の前後を通じて、制服警察官や私服警察官と行動を共にしていることから、被告に所属する警察官と推認することができる。

2  補足説明

(一) 本件ビデオテープ、現場写真の信用性

検証の対象とされたビデオテープのうち「1990年2月18日」と題する部分(以下「本件ビデオテープ(三)」という。)は、その撮影者が不明であるものの、右ビデオテープにおいて特段の編集・改ざん等の形跡は窺われない(証人中村牧子)ことから、平成二年二月一八日の現場の様子を撮影したものであると認められ、視覚及び聴覚の作用により感知される現場の状況を至近距離で記録したものとして、その信用性は極めて高いということができる。

また、甲三号証の62ないし69は、その撮影者が不明であるものの、証拠(原告春川本人、原告丁田本人、検証結果)によれば、平成二年二月一八日の現場の様子を撮影したものであると認められる。

(二) 被告は、白色ジャンパーの人物が原告丁田の頭部を左膝で蹴っていないと主張し、その理由として、①検証結果によれば、白色ジャンパーの人物の左膝が原告丁田の頭部に接触していないこと、②原告丁田は後頭部を蹴られたと供述するが、本件ビデオテープ(三)には原告丁田の頭部が白色ジャンパーの左膝の動く方向に移動する状況は認められず、また、原告丁田の頭部や顔面に傷害が生じた事実もないこと、③原告丁田は蹴られた際車に衝突したことはないと供述しているが、本件位置関係で後頭部を蹴られたにしては極めて不自然であること、④本件ビデオテープ(三)によれば、原告丁田は「警察官に蹴られた」等の抗議をした状況が認められないが、本件当日の原告丁田の状況に照らせば、頭部を蹴られていればかかる抗議をしたであろうと考えられるから、頭部を蹴られた事実はないと考えられること、⑤医師の診察、治療を受けていないこと、⑥白色ジャンパーの人物の左膝が原告丁田が背負っていたリュックサックをかすめて上方に移動し、これが下方に移動する際右リュックサックに接触したため、原告丁田の上体がわずかに下方に動いたというのが真実であることを挙げる。

しかしながら、検証結果等前掲各証拠、特に甲三二号証の12によれば、前記認定の暴行の事実が認められるから、被告の主張は理由がない。

3 原告丁田は、前記認定のとおり、私服警察官により暴行を受けており、これを正当化する事由も認められないから、右暴行は違法である。

これに対し、被告は、白色ジャンパーの人物が原告丁田の襟をつかんだ行為を法的に暴行と評価することはできないとして次のように主張する。すなわち、原告丁田は秋の嵐構成員等とともに抗議と称する活動を続けていたのであり、春川らが強制排除されるのを見て、春川の身体をつかみ、警察官の身体を押しのけるなどした後道路上に寝ころんだ秋の嵐構成員を引き起こそうとしている警察官の活動を妨害していたものであり、白色ジャンパーの人物は原告丁田による右妨害行為を排除するために襟をつかんだものであり、違法な有形力の行使と評価することはできないと主張する。右主張の法的根拠は必ずしも明らかではないが、善解すれば、警察法二条、警察官職務執行法五条、本件公安条例四条等に基づいて、「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当た」り(警察法二条一項)、「犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のため関係者に必要な警告を発し、又、もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞があって、急を要する場合においては、その行為を制止」し(警察官職務執行法五条)、あるいは、「(無許可の)集会、集団行進又は集団示威運動の参加者に対して、警告を発しその行為を制止しその他その違反行為を是正するにつき必要な限度において所要の措置」(本件公安条例四条)をとったもの(ないしは右措置を遂行するに必要な限度の措置をとったもの)とみても、原告丁田自身は前記の移動措置等の直接の対象となっておらず、前記認定の原告丁田の活動状況(比較的小柄な女性であること、ビラを手にしていること、移動措置等は現実に行われており、原告丁田の行動により右措置が現実に妨害されたとはいえないことに照らすと、本件暴行特に、蹴った行為は必要かつ相当な限度を逸脱しているものというべきであるから、右暴行を正当化するものとはいえない。

五  原告らの被った損害について

原告らが本件逮捕等及びその後の身柄拘束により被った精神的損害、被告の違法の程度、本件逮捕等に伴って原告らが受けた傷害の有無、程度、態様等諸般の事情を総合勘案すれば、原告らの精神的・肉体的苦痛に対する慰籍料としては、以下の金額が相当である。

1 原告甲野、同乙山及び同丙村については、前記認定の各事情を考慮してその損害額は、それぞれ五〇万円とするのが相当である。

2 原告丁田については、前記各事実を考慮してその損害額は、三〇万円とするのが相当である。

六  よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤康 裁判官稻葉重子 裁判官山地修)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例